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新元号の日に問う 民主主義の定義?

令和となったようです


昨日発表。元号は「令和」




まあ議論をして、公正な態度でのぞみ
皆が納得できる落しどころを決めるという手続きを続ける
いまのイギリスで起きている
なかなか決められないあのしんどい手続きがなんとも実態を表しているようだ


一説では 平等 (権利の、機会の、結果の?)


「民主主義の本質は、全ての人が平等の権理を持つこと」
(又は、民主主義の本質は、人権にある)
この"平等"という言葉が、民主主義を理解する急所。
現代の人にとっては、これが当たり前のように思え、暗黙の前提として使ってしまう。

しかし、歴史的に見ると、これほど異様な考え方は無い。
中世の封建社会では、貴族や王様など一部の人間だけが特権を持つことは当たり前だった。今でもそういう国はある。
そこに、予定説が現れ、天地がひっくり返った。
全知全能の神から見れば、一部の特権階級の人間と普通の農民にも、大した違いは無い。
無限大から見れば、どんな数字でもゴミ。塵以下。
人間は、神の前には王様であろうと平民であろうと、皆平等である。
従って、人間が持っている権理もまた平等であるという意識が生まれてくる。
ここから、人権という概念が生まれ、民主主義が誕生した。
そして、民主主義が誕生した後は、バタバタと特権が倒れ、封建制が崩れた。
出典 民主主義の本質を考えよう [前編] | 蜜柑草子~真実を探求する日記~


多数決。
これが生まれたのは、1179年。
バチカンで次期ローマ教皇を選ぶ際の選挙(コンクラーベ)から生まれた。
それまでは、全員一致が採用されていたが、決定に時間がかかり過ぎるため多数決制が採用された。(蜜柑草子より)


民主主義とは、日本にしかない概念だという


民主主義,すなわちデモクラシーとは,〈人民の権力〉を意味する古代ギリシア語のdēmokratiaを語源とし,それがラテン語を経由してヨーロッパ各国の近代語の中に受け継がれたものである。それは本来,君主制,貴族制とならんで国家の統治形態の一形式を示す言葉,すなわち民主制であり,その原理は前5~前4世紀のアテナイにみられたように,政治的共同体(都市国家)の重要な決定には参政権をもった市民全員が参加すること,公務は抽選で全員が負担すること,および共同体防衛の義務を全員が負うことであった。
出典 デモクラシーとは - コトバンク


議会。
1265年にイギリスで初めて開かれた。
当時の国王は、領主達から税金を徴収したかった。
しかし、勝手に税金を取ると皆が怒るので、領主達を集めた議会で討論させ、それを認めさせることにした。
領主達も、国王の好き勝手にさせず、自分達の特権を認めさせるために、議会に集まった。
だから、この頃の議会は、国王の動きをチェックするparliament(裁判所)の役割。
(蜜柑草子)


しかし意図は近いか?


デモクラシー(democracy)という言葉は、ギリシア語の「ディモクラティ(demokrati)」から出ている。ディモス(demos)はピープル、クラティア(Kratia)はガバメント、政治制度をいう。日本ではこのデモクラシーを民主主義と訳しているが、「主義」は本来「イズム(ism)」でなければならない。もしデモクライズムあるいはデモクラティズムならば民主主義となるが、デモクラシーは民主政治、あるいは民主制、民主政治制度とすべきである。この「制度」とすべきものを「主義」と誤訳してしまったところに戦後の日本のデモクラシーの大きな落とし穴があるように思うのである。
出典 デモクラシーと民主主義の違い


憲法
1215年のマグナカルタ(大憲章, the Great Charter)が発祥。
好き勝手にやってるジョン王に、領主や貴族達が、自分達の特権を守るよう63条の要項を王に要求した。
図は、ジョン王が、貴族達から文書を突きつけられて、そっぽを向きながらサインしているところ。

つまり、憲法も議会も、元々は貴族達の特権を守るために生まれたもの。
ここから、民主主義は、生まれなかった。
民主主義と何の関係も無いという理由。
(蜜柑草子)


単数性から複数性への移行 がポイント 複数であること


ローマでコンスルが三人になったのも、一種の民主化


究極の複数化こそが、理想の民主主義


私のイメージする民主主義は、ヒト一人ひとりの中に
しっかり倫理性が内化され
志の高い人たちの間で、自由に討議が進められ、
地方分権がかなりのレベルまで進み、
多極化、分権化の極みの中で、小さな政府の無数の連合体のように
各所が自律的に動いているというもの

北欧で地方議会が無給の兼職であり
首相がタクシードライバーのふりをして国民と語り合う(実話)というのは
かなりイメージに近い